「掃除機,かけてもいいですか?」。昨日,給食を終え,校長室で仕事をしていたところ,突如,6年生の女児2名に,このように声を掛けられました。突然のことで意味がよく分からず,「どういうこと?」と聞き返すと,隣の会議コーナーの掃除当番として掃除機を使いたいのだが,先ほど私が教頭先生と話をしていたのて邪魔になるのではないかと気になり,確認をしてくれたとのこと。小学校6年生と言っても,まだ小学校5年生に数日足し算した程の児童にして,この気の遣いよう。教えごとには依らない,この子等の生まれ持った「生きる力」と感じました。(写真左から)大坪さん,宮川さん,誠に立派でした。
昨日は,新年度に向けてクラス替えをした新3年生の様子をお伝えしましたが,本日は同じくクラス替えをした5年生2クラスの様子を紹介します。5年生も3年生同様,クラス替えのみならず担任の先生も替わりました。5年1組浅川学級。この時間は浅川啓司先生の御指導の下,理科の学習を行っていました。5年2組中込学級は,世界地図と地球儀とを見比べながら,社会科の学習を行っていました。昔,学級担任をしていた頃,この学習をする時には必ず「この地図の端まで進むと,どうなると思う?モグラのように地下なのか?それとも,大きな滝になっていて落ちてしまうのか?」等と問うたものです。ALT(Assistant Language Teacher)のディーナ先生(ジャマイカ出身)が,階段に掲示している英語カードの補修をしてくれました。授業参観で来校の折は,是非意識して御覧になってください。この春,用務員をお務めいただいてきた星野様が御退職となり,後任として小澤和明様が着任なさいました。学校の鍵開けから,給食用コンテナを各学年に運んだり,敷地内の整備を行ったりと,幅広い守備範囲で学校を支えてくださっています。今日は膝を付きながら,草取りもしてくださいました。(以後,私事で大変恐縮ですが,お時間の許す方はお付き合いください。)冬の間,葉を落としていた学校の木々も,春の訪れと共に芽吹きを始めました。柔らかく・小さな葉の芽吹きはとても美しく,生命の躍動も感じられるので私は大好きです。さて,そんな私に昨晩,大学のゼミ仲間が久方ぶりに電話をくれました。内容は,大学3年・4年のゼミナールで御指導いただいた恩師の奥様が,突如お亡くなりになったという訃報でした。私たちゼミ生はことある毎にお宅にお邪魔しては,手料理を振る舞っていただき,奥様を第2の母親のように慕っていただけに,受話器を持ったまま私は言葉を失いました。と,同時に,最愛の奥様に旅立たれてしまった恩師の悲しみはいかばかりかと思うと,昨夜はなかなか寝付かれず,先生のインスタグラムを何度も覗く夜を過ごしました。今,教師として子どもたちの前に立つ自分の,多くの部分を形作ってくださった先生の悲しみを思う時,改めて,命の尊さに心が沈みます。人を育てることを生業(なりわい)にする教師が,いの一番に心に刻み込まねばならないことは,一人1人の「尊厳」であり,その尊厳は,命という「掛け替えのない」,唯一無二のものに由来するということを自覚することだと考えます(よって,教育界,学校に,いじめや体罰などはあってはなりません)。大切な命が失われる一方で,新たな命が芽生える。世の常とは,そのような中で繋がっていくのかも知れませんが,そこには唯一無二,かつ「かけがえのない」一つ一つの命が存在し,故に,一人は一つしか持ち得ない命と尊厳を尊ぶ教育を,教師は実践していかなければならないと,人として,教師として,367名の大事な命と未来を抱く子どもたちをお預かりする学校の校長として痛感しています。